プロフィール
お名前
山村通夫さん
年代
60代
居住地
佐久市
居住年数
9年
- 暮らしの経緯
- 東京の商社で働きながら2000年に佐久市にログハウスの別荘を建て、茅ヶ崎との二地域居住を開始し、2011年に早期退職をして妻と完全移住
- 暮らしの中で大切にしていること
- この生活を続けるために、なによりも健康第一で、そのための努力を怠らないこと
- これからの暮らしの希望
- 今後も今と同じように薪作りや乗馬、スキーをしたり、バイクに乗って森暮らしを楽しみたい
- 住まいの変遷
- 神奈川県横浜市(マンション)→藤沢市(マンション)→茅ヶ崎市(一軒家)→佐久市(一軒家)
薪ストーブに一目惚れして別荘を建てることを決意
佐久市は長野県の東信地方にあり、佐久鯉で有名な市です。
大型商業施設のある佐久平駅周辺の利便性と周辺地域の大自然のバランスが良く、また新幹線で約70分と東京からのアクセスも良いため、移住や二地域居住される方に人気の地域です。
山村通夫さんは薪ストーブのある生活に憧れて、東京で働きながら2000年に佐久市の森の中にログハウスを建て、11年間、二地域居住を続け、2011年に奥さまと一緒に佐久市へ完全移住しました。
山村さんはもともと海が大好きでダイビングが趣味だったため、神奈川県の横浜市や藤沢市、茅ヶ崎とずっと海のそばで暮らしてきましたが、ある日、体調を崩し、ダイビングができなくなってしまいました。
大好きなダイビングという趣味を失った山村さんでしたが1997年、アウトドアグッズが紹介されていた原村のショップで、薪ストーブと出会い一目惚れ。
強い火力の中にも柔らかさを持つ暖かさ、そしてどこか懐かしさを感じるどっしりとした鉄の塊にすっかり魅了されてしまったそうです。
そして薪ストーブのある生活を実現するため、佐久市の標高1200メートルの森に土地を求め、2000年にログハウスを建てました。
念願の薪ストーブのある別荘を建て、2000年から2011年までの約11年間、会社のある東京、自宅のある茅ヶ崎、そして佐久市を行き来する二地域居住を開始しました。
佐久市は、佐久平駅から東京まで新幹線のアクセスが良く、二地域居住に最適だったそうです。
そして2011年、55歳の時に会社を早期退職し、奥さまと一緒に佐久市に完全移住しました。
念願の薪ストーブのあるログハウスで薪作りを日々楽しむ
山村さんのログハウスは、近くの住宅地から数キロ離れた森の中にあります。
この場所と家を選んだ理由について山村さんは「豊かな自然にあふれ、敷地面積も広く、薪ストーブを遠りょなく焚けるという理由で森の中を選びました。そして森の中と言えば、やっぱりログハウスだなって思ったんです」と話してくれました。
ログハウスは日中でもとても静かで、室内は山村さんの趣味の一つでもあるジャズだけが聞こえていました。
「ログハウスは天井が高いし、木でできているから音の響きもいいんですよ」と山村さん。
このログハウス自体は職人さんに建ててもらいましたが、その後の増築部分の床張りなどは自分たちで行い、さらにログハウスを建てたときに余った部材で家の中の家具を作り、薪小屋も自分で建てたそうです。
今の家を建てた当初の目的だった薪ストーブについては「薪ストーブを使い始めた頃は火をつけるのが楽しみでしたが、今は楽しみよりも寒いから焚く、といった感じになっちゃっています」とのこと。
とはいえ薪作りは山村さんの楽しみのようで、この日も楽しそうにチェーンソーで木をカットしていました。
人と程よい距離を保ち、多才な趣味に没頭する生活
現在、山村さんは佐久市の移住相談員の仕事をしながら、このログハウスで奥さまと猫のスモーキー、犬のデルの2人と2匹で暮らしています。
完成当時は薪ストーブを焚くことが主な楽しみだったという山村さんですが、ここでの生活を続けるうちに趣味がどんどん増えていったそうです。
今ではジャズを聴きながらご自身でもギターを弾き、ハーレーや乗馬、スキーといったアクティブな趣味も多数持っています。
山村さんと奥さまは趣味や交友関係の違いもあり、ここでの生活はお互い自由に過ごしているそうです。
「若い頃はいつも一緒に行動していましたが、今はそれぞれ好きなことをやって過ごしているため、お互いのスケジュールを確認し合わないと一緒に外食にも行けません」と笑いながら話す山村さん。
「家が広いので夫婦もある程度の距離と言うか、スペースを確保しながらお互いのプライバシーを守って生活しています」とのこと。
ご近所との付き合いについて伺いました。
「地方で暮らすと、良くも悪くも近所付き合いや人間関係が濃くなりがちですが、この多少離れた立地のおかげで、近所とも程よい距離感で付き合いができています」
とはいえ近所付き合いを避けているわけではなく、自治会の役員を務めるなど地域の活動に参加されているそうです。
何より健康第一でこの生活をいつまでも続けたい
山村さんに今後の暮らしについて伺いました。
「まずは何よりも健康でいること。わが家では年間15トン以上も薪を消費するため、健康でないと薪作りができなくなるし、ここでの暮らしも立ち行かなくなる。そうやって別荘や森暮らしを手放した知り合いも多い」と話す山村さん。
できる限り健康を維持し、薪作りを続け、森の暮らしを楽しみたい。
そのために常に体力面の配りょは怠らず、奥さまの協力で食事にも気を遣っているそうです。
「薪ストーブに興味がある人は結構多く、私のような愛好家が増えれば間伐材を薪として使うことで、森が元気を取り戻すきっかけになるのではないかと思う」と話す山村さん。
自分のため、森のため、きょうも山村さんは、薪作りを続けています。