理想の森暮らしが、ここにある諏訪
2020年12月14日

プロフィール
お名前
山﨑靖子さん
年代
70代
居住地
茅野市
居住年数
30年
- 暮らしの経緯
- 東京はビジネスには最適だけど人が多すぎて24時間365日東京というのはきついかなと感じ、週末だけ抜け出して自然の多い蓼科で暮らし始めました
- 暮らしの中で大切にしていること
- 従業員が楽しんで働けるような雰囲気を作り、そういう会社にしたい
- これからの暮らしの希望
- 次にバラ農園を譲る人がきちんとバラの育て方を覚えてくれるように後進の育成をしていきたい。そして、地域の人たちやいろんな人たちにコミュニィティの場として集ってほしい
- 住まいの変遷
- 神戸の海を見渡せる分譲マンション→東京で賃貸の庭付き1軒家→蓼科ビレッジの別荘
都会の喧騒から抜け出し、週末は蓼科の自然の中へ

神戸で機械商社を経営していた夫の嘉宏さん。経営が軌道に乗った頃、東京にも会社を設立し、息子が中学に上がるタイミングで、妻の靖子さんも夫と東京で暮らすようになりました。
当時はバブルの頃で夫の商社も忙しく、経理を妻の靖子さんが担当していました。
「東京はビジネスには最適だけど人が多すぎて、神戸の海の端で暮らしていた私たちには、24時間365日東京というのはきついかなと。ですので、週末だけ抜け出して来たのが、蓼科暮らしの始まりでした」と靖子さん。
「畑にいる時はリラックスしていましたよ。義務じゃないから。やることで癒されていました。都会ではできないですし」
週末の蓼科暮らしを始めて2年後に、標高1600メートルの「蓼科ビレッジ」に別荘を建てました。設計は、かつて大阪のアメリカ領事館を設計した嘉宏さんの友人が担当。
「最初は他も見たんですが、にぎやかじゃないところが良かったんです。蓼科は別荘があってもあまり造成されておらず、ワイルドで自然がいっぱい残っていて。一番良いのは乾燥しているところですね。昼間はお天気で乾燥してて、夕方になったらサッーと夕立がきて。バラにも草木にも水をやらなくていい。夜は涼しくて、理想的ですよね」
新芽から新緑へ。暮らしたから見える、
森の四季の移ろいと動物たちの営み
「3月に新芽が吹くでしょ、あれが一番好き。今年も新芽が見れたな、と元気が出る。初めは黄色っぽいグリーンが、だんだんグレーになって緑になって濃い緑になって。
冬は樹氷がきれい。乾燥しているからダイヤモンドダストでキラキラするんですよ。そういう風な季節の変化がちゃんと分かるんです」と靖子さんがうれしそうに話すと、その隣では...
「ベランダにあるお皿にエサを出しておくと、リスと小鳥が交代でやってきます。
雨が止むとごはんを食べに森の中をシカもうろうろしていますし、キツネやタヌキもいます。夜はフクロウやテンも見かけます。ここが良いのはクマがいないこと」と動物好きの嘉宏さん。
大好きなバラ作りと化粧品作りのための“終の住処”

別荘を建ててからも数年間は週末だけ蓼科に来て、靖子さんが20代の頃から好きだったバラを栽培していましたが、年齢とともに体力的にも週末だけの暮らしが大変に。
そんな時、ビジネスとしてバラの化粧品作りを本格的に始める機会に恵まれ、21年前、終の住処として完全に蓼科に住むようになりました。
八ヶ岳の山麓に広がる蓼科高原に20数年掛け、2万平方メートルのバラ農園をつくりあげました。そして、農水省の有機JAS認定も取得し、農園の隣に化粧品香房も造りそのバラから採れる成分で、基礎化粧品の製造も行っています。
化粧品免許を持つのと同時に農地取得が認められた農業生産法人として、原材料の内製化ができる国内ではとても希有な会社へと大きく成長。バラは全て無農薬のオールドローズで、多くのファンがいます。
蓼科の自然を守るための有志の会
「美しの蓼科」から広がる環境保全活動

5年前からはその蓼科の景観を守るための活動をする有志の会「美しの蓼科」の一人として遊休農地を活用したり、花植えなどを行い、環境保全にも尽力してします。
今後のことを伺うと、「数年前にこの辺のバラ農園や観光農園の近くに、大規模なソーラーパネル設置の話が持ち上がって。その時にこの美しい景観を守るために、近くの友人たちと反対活動をしたんです。その活動をきっかけに、積極的に景観作りも行うようになりました。今後も多くの人に美しい蓼科を楽しんでもらえるように、周りの友人たちとこの自然を守っていきたいですね」と、靖子さんは澄んだ空気の中で語っていました。