上田市で理想の家を実現上田
2020年11月28日
プロフィール
お名前
笹岡さん
年代
70代
居住地
上田市
居住年数
5年
- 暮らしの経緯
- 長年ベルギーで日本食レストランを経営後、穏やかな老後を目指し上田市へ
- 暮らしの中で大切にしていること
- 自分の我を張らず、穏やかに暮らす
- これからの暮らしの希望
- 人生のリミットに合わせた生活。できるだけ穏やかに好きなことをやり、周りの人と仲良くやって暮らしたい
- 住まいの変遷
- 銀座で住み込み→ベルギーで古い家を借りる→一軒家を買い取る→上田市で理想の家を建てる
小布施から銀座、そしてベルギーを経て現在の上田市へ
長野県上田市にある、六文銭の旗印でおなじみの戦国武将、真田幸村・真田昌幸ら真田氏発祥の地として有名な真田地域(旧真田町)は約4000世帯、人口1万人ほどが暮らすのどかな地域です。
笹岡さんは2013年に長年レストランを経営したベルギーからこの地に移り住み、この家を建てました。
笹岡さんは長野県小布施町の生まれで高校を卒業後、お兄さんに勧められて寿司職人を目指し、銀座の超一流店で修業。
その後、独立したい、日本食を世界に広めたいという思いから1972年に奥様と一緒にベルギーのブリュッセルに移住し、ブリュッセルセンターで日本食レストラン「Samourai」をオープンしました。
そこで2人のお子さんを育てながら約40年間、レストラン経営を続けてきましたが、お子さんが日本に戻ったのを機に、晩年はできるだけお子さんたちの近くにいたいと思い、2013年に日本へ帰国。
奥さんの実家がある現在の上田市に夫婦二人で移住しました。
ヨーロッパの雰囲気を取り入れ和洋折衷を目指した理想の家
笹岡さんは旅行も大好きで、長年住んでいたブリュッセルはもちろん、イタリアやフランスを見て回ることも多く日本に住むならそんなヨーロッパの雰囲気を取り入れつつも、日本の景観にマッチする「和洋折衷」を目指した理想の家を建てたい、と思ったそうです。
その希望を叶えてくれる有名な建築士さんに依頼したいと、なんと1年も待ったという笹岡さん。
その甲斐あって完成した家はヒノキをふんだんに使い、和と洋をバランスよく取り入れたデザイン。
真田ののどかな景観にマッチしていながらも、笹岡さんが好きなヨーロッパ歴史建築の雰囲気をどことなく感じさせる家に仕上がっています。
自然光を多く取り入れるよう設計された明るい室内からは「真田の里山の風景」が楽しめ、移りゆく真田の四季を感じることができます。
特に庭にはこだわっていて、笹岡さん曰く「周りの景色と合体する庭」。
あえてバラやダリアといった華やかな花ではなく、タツタソウやユキノシタといった身近な多年草や山野草を約100種類ほど植えているそうです。
夫婦でこまめに手入れしたり、年5回ほど業者さんに剪定をお願いしているという庭は常に美しい状態で保たれています。
奥様は家から少し離れたところにプロヴァンス風の畑を作り、そこで大好きなハーブを栽培。
夫婦それぞれ思い思いの生活を楽しんでいます。
自慢の庭で近所の方と過ごす大事な時間
笹岡さんは自分でデザインを手がけた家と、大好きな山野草を植えた庭の手入れをしながら近所の人とお茶を飲み、井戸端会議をするのが楽しみだそうです。
「庭が近所の方とのコミュニケーションツール」と笹岡さんは話します。
近所の方に気軽に見て立ち寄ってもらいたいという思いから、塀や囲いは一切作っていません。
天気のいい日は常にだれかが立ち寄り、庭でお茶を飲んでいく光景が日常となっています。
日が暮れるまで庭で長話をしたり、友人に家で手料理をふるまったりと、家と庭にはいつも誰かと楽しそうに話すご夫婦の姿が。
また笹岡さんにはテニスが趣味という一面もあり、今でも週2回はテニスコートで近所の方と一緒に汗を流すそうです。
穏やかに時間を過ごしたいという笹岡さんの思い
現在も笹岡さんはこの地で自慢の家と庭で暮らしながら、毎日ゆっくりと流れる時間を楽しんでいます。
そんな暮らしの中で笹岡さんが大切にしているのが「自分の我を張らない事」
「幸せになるためにはストレスを抱えない事、そしてストレスは自分自身が作っていることが多い。我を張れば人と衝突し、人は離れてしまう」
人と会ったり、人が庭に来てくれてみんなでお茶を飲みながらたわいもない話を楽しむためにも我を張らずに生きることを自覚して日々を過ごしています。
人には誰しも人生のリミットがある。
本当なら大好きで入った道、仕事を一生続けていたいけどそれは難しい。だからリミットに合わせた生き方をする。
できるだけ平穏に好きなことをやって、周りの人と仲良くやって一生を終えられたらいいな、とそれだけです」
そう話しながら、笹岡さんはきょうも奥さんや近所の人たちと自慢の庭でゆっくりと過ごしています。